■Help!2
尸魂界の誰もが憧れる死神を束ねる隊長格のひとり、十番隊長・日番谷冬獅郎はその日、袖に両手をつっこみながら、五番隊舎に向かっていた。
眉間の皴はいつもより一本多い。唇は引き締められ、やや低い位置の肩は風を切って進む。
眼光鋭い鮮やかな翠の目には確固たる決意が漲っていた。
寄れば斬られるだろう。
黙然と突き進む十番隊長を恐れ、五番隊員たちは遠巻きに会釈をしては蜘蛛の子を散らすごとく逃げていく。
たどり着いた五番隊の隊長室で、日番谷は軽く息を吸い込むと鋭く声を投げつけた。
「藍染! いるか!」
「…どうぞ、日番谷君」
五番隊長・藍染惣右介の常と変わらぬ穏やかな声が返ってくる。日番谷は黙って引き戸を開け放った。
思ったとおり。
隊長室には藍染と、その副官・雛森桃がいた。藍染は筆を持つ手を止め、雛森は日番谷の様子に目を丸くしている。
その様子を素早く確認すると、日番谷は黙って幼なじみへ視線を固定させ、ずんずんと距離を詰める。
「へ? ひ、日番谷君?」
どうやら十番隊長の突然の来訪の目的が自分らしい、と悟った雛森は慌てて瞬きをして「ふえ」とか「ほわ」とか声を出したが、それに構わずその手首をぐい、と掴み。日番谷は改めて藍染を見、有無を言わせぬ口調で言い切った。
「こいつ、借りてくぜ」
誰がなんと言おうと否定は認めない勢いである。
副官と同じく目を丸くしていた藍染は一拍置いて苦笑すると、やわらかに言った。
「どうぞ。今日は比較的楽な仕事だから。明日に回しても、雛森君なら大丈夫だろう」
「おう」
隊長ふたりの間で交わされる会話にきょろきょろと両者を見ていた雛森は、どうやら話の流れで自分が売られたらしいと悟った。慌てて声を上げる。
「あ、藍染隊長!? あ、あの、私、まだ仕事が…!」
「うん。行っておいで、雛森君。若いうちはいろんなことが起こるものだからね」
「え、いえ、そういうことじゃなくて…」
「まさか僕が君の勤務書類に理由なき早退と書き込むとでも思っていたのかい? そんな薄情な上司じゃないよ、僕は」
「いえ、そういうことでもなくて…! って、ひ、日番谷君!?」
こちらに手を伸ばしつつも悲鳴をあげながらひきずられていく副官を眼鏡の奥から穏やかに見守り、五番隊長はにこにこと手を降って雛森桃を送り出した。若いっていいなあ、とのんびり呟きながら。
***
「どういうことなの日番谷君!」
雛森は現在、おかんむりだった。まあ当然だ。説明もなしに仕事中に拉致された。抵抗したところ、なんと死覇装の襟首をつかまれ、瞬歩で移動。吐きそうになった。
問答無用で引きずられてきた先は、隊舎を遠く離れた野原。場所的にも、忙しい昼過ぎという時間帯からしても、滅多に死神が通らないような場所である。好き勝手に生える緑の草の合間に、黄色い花が鮮やかに咲いている。その中を縫うようにかろうじて存在している細い一本の道。よりにもよって、整備もされず石ころと砂だらけの道の真ん中に、文字通り放り出された。ぽい、っと。そう、ぽいっと。誰であれ、ムッとして当然だろう。おまけに土ぼこりで死覇装は白く汚れてしまっている。
雛森は腰に手をあてると、幼なじみを睨みつけた。
「まるで子猫でも投げるみたいに放り出して! あ、子猫は投げちゃダメだよ、もちろん! でもね、そういうことじゃなくて、そもそもどうして仕事中にどんな理由があってあたしをこんな場所につれてきたの? 日番谷君、仕事は? 乱菊さんに迷惑かけてるんじゃない? だいじょうぶ? あ、そうじゃなくて、日番谷君の心配じゃなくて、あたしは怒ってるの!」
「雛森」
「あたし、怒ってるんだよ!」
日番谷は真剣な目で雛森を見つめた。その気迫に押され、ややしてから雛森が黙り込む。
両者の間に沈黙が流れる。
(いったい、なんなの)
落ち着かない。幼なじみは唇を引き結んだまま、ずっと雛森を見つめている。あの大きな翠の目で。
沈黙に耐え切れず、雛森が声を上げようとしたその一秒前に、日番谷が言った。
「雛森。そこに座れ」
埃と石ころだらけの地面を指差して。
頭上には鮮やかな青空。道端に咲くのは名もない可憐な花。
目の前には大真面目な幼なじみ。
「………へ?」
大真面目な。
はや一時間。
雛森はもう、泣きたかった。
頭上には眩しいくらいの爽やかな青空、道端にほころんで咲くのは可憐な黄色い花。
天気は上々、空気は澄んで清清しい。昼を過ぎた太陽の光は優しく、絶好のロケーション。
こんな場所ですることといえば決まっている。心地よい昼寝、楽しい和気あいあいのピクニック、散歩。
それなのに。
それなのに。
なぜか雛森は、どこへ続くとも分からぬ細い一本道の上にぺたりと座り込んで幼なじみと向かい合っている。
正座して。
何が悲しくて正座なのだろう。
対する幼なじみは胡坐をかいて楽な姿勢で、たいへんにくやしい。
何が悲しくて道の上なのだろう。
当然、座布団なんて無い。膝は痛いし、足は痺れてきた。対する幼なじみはというと、なんと一向に喋らない。
では何をしているのかというと、思いっきり雛森を睨んでいるのである。
傍から見れば完全に間抜けな二人だろう。しかもそれが本来勤務時間にあるべき十番隊長と五番副隊長である。
そう。
座れ、との言葉に呆気にとられた雛森に対し、日番谷自身は死覇装が汚れるのも頓着せずに早々に道に座り込んでしまったため、雛森も座らざるを得なくなった。最初に正座してしまったので、意地で足を崩せなくなった。
さあ、言い訳を聞こうじゃない、と雛森が構えれば、日番谷は一向に喋らない。ただ黙って、雛森を穴の開くほど見てくる。それがバカにした様子なら、雛森もわめいて勝手に帰れるというものだが、これがなんとも真剣なのだ。邪魔したら悪いと思わせるくらいに真剣な表情を浮かべて。ただひたすらに雛森を見据えているのである。黙ったまま。
幼なじみの行動の意図をようやく悟り、雛森は戦慄を覚えた。
日番谷冬獅郎、通称シロちゃんの十八番。
雛森桃限定、沈黙の凝視の後に始まる、怒涛のお説教タイム。
(もう、本当に、泣きたい………)
天才児だといわれていた。百年に一人の逸材、否、千年に一人かも知れぬなどともてはやされ、史上最年少で隊長の座を勝ち取った天才少年。彼が幼なじみだということは雛森に誇りと喜びと小さな焦りとを与えたが、雛森は幼なじみが大好きだった。姉弟のように育ったのだ。彼が活躍すればやっぱり嬉しいし、些細な会話をするとき、彼が自分に対して乱暴ながらも気安さを見せることは雛森の小さな自慢だった。彼が十番隊長に就任して、年下の隊長への強い風当たりにも負けず、隊員たちの固い信頼を得ていく過程を心配しながら見つめ、泣き、喜んだ。
だが。
これ、これだけは拷問である。
バカとか、アホとかいうお小言や、軽くはたかれたりとか、それくらいなら日常茶飯事なのだが、このお説教の刑だけには、雛森は弱い。これこそ滅多に発動されない日番谷最終兵器なのである。
一体、今回、自分はどんなヘマをやらかしたのだろうか。
零れ落ちそうになるため息をすんでのところでかみ殺し、雛森はきつく目をつむった。
実は、お説教も大問題なのだが、雛森自身にも見過ごせない大問題がある。
昼ごはんを、食べていないのだ。お腹が先ほどからきゅるきゅるしているのである。
今まではかろうじて腹に力をこめ、なんとか音を隠してきたが、それも限界に近い。空腹のピークを迎えつつある。このままでは、直に特大の腹の音が打ちあがる。乙女として、それは許されない。ここで立ち上がるほか、道は無い。覚悟を決め。
雛森は目を見開き、ついに不毛な沈黙を打ち破ろうと決意した。
「日番谷君、あのね、あたし…」
それと同時に、日番谷の唇が動き、鬼の説教をつむぎはじめようとした。
「雛森、お前…」
ぐーきゅるるるる、ぐごーぐごー。ぐぺっ。
や っ て し ま っ た。
両者の間を、乾いた風が吹く。
自らの腹が打ち上げた特大の腹の音に、雛森は崩れ落ちた。
幼なじみの顔が見れない。
(は、恥ずかしいぃぃぃ)
目には涙が光る雛森桃、五番副隊長、年頃の乙女。
***
「ぐぺっ、て、なんだ」
それが長い沈黙を破った日番谷の第一声だった。
道にぺったりと頬をつけて、雛森が恨めしげにそれを見やった。先ほどの失態に、耳まで赤い。
「…それはあたしの、お腹の音のこと、でしょうか」
「…あんな音、どうやったら出るんだ」
蚊の鳴くような声を出して雛森が突っ伏した。その様子を見つめ、日番谷は心の中でもう一度、先ほどから何度も巡っている言葉を繰り返した。
(ありえねぇ)
ぐぺっ、である。ぐぺっ。
言いたいことはたくさんあった。
今回ばかりは、腹に据えかねた。
すべてを吐き出す前に、威嚇の意味も込め、この一時間、腐るほど雛森を観察した。凝視した。にらみつけた。たっぷりと、くまなく。
雛森桃。
五番副隊長。
幼なじみ。
日番谷の中では雛森につく肩書きはそれこそ数え切れないくらいにある。
雛森はどちらかというと、美人系ではない。癖のあまりない素直な黒髪、やや紫がかった大きな黒い目。化粧はしない、ふっくらとした柔らかな頬。日番谷は八番副隊長の伊勢七緒のような女が掛け値なしの美人にあたると感じる。あれは知的な美人だ。性格も真面目で仕事も理知的にこなす。自分の隊の副隊長・松本は色気ある艶めいた美人系統。四番隊長は和を感じさせる落ち着いた美人だ。あの独特な髪型は不問に処すに限る。むしろつっこめない。
雛森は、美人ではない。可愛い系だが、一般的な見方では、極端に可愛いわけでもなく、可愛いと普通の中間を可愛い寄りで漂っている、というあたり。お団子頭は少しでも大人を意識してだろうが、なんとなく気に入らない。たまにはおろしてみてもいいと思う。
体型は完全なるお子様型、凹凸なしだ。まあその辺は興味が無いから別に気にしない。松本のようになられても、正直、困る。
性格は鈍だ。副隊長で鬼道の達人のくせに、おっとりした空気が拭えない。威厳は欠片もない。なんだか、ほにゃほにゃしている。そのせいでよく阿散井や檜佐木にからかわれている。あれは見ていてなんだか腹が立つので、あいつらが十番隊に用事を持ってくる時にはわざと留守にしている。
加えてドジだ。よく、ふわぁとかほわぁとか、変な声を出しつつ書類をばらまいている。そのくせ、意外に書類の出来は正確であまり間違いが無い。悔しいのでたまに意地悪をしてやる。
思考にも問題がある。藍染第一。だから藍染の自慢話をしに来た時はいつも浮竹から押し付けられた菓子を出して黙らせる。そういえばさっきも訳の分からないことを言っていた。仕事中を連れ出されたのだから普通もっと怒るはずだが、子猫は投げちゃダメとか意味不明のことを口にしていた。行動パターンは読めるが、その人の良さにはあきれ返る。攫ってきたこっちの仕事の心配までして、お節介でお人よしだ。
すぐに人を信頼する。笑顔を向ける。この前、吉良にも会話の途中で花が咲くように笑っていた。あのヤロウ、あんな変な片面金髪のくせに一丁前に頬を染めてやがったので、通り抜けざま思い切り足を踏んづけて肘鉄を食らわせてやった。
危険な事態にも逃げる事無く立ち向かう。自分の心配をしない。バカだ。この前任務で怪我をしたと聞いて慌てて駆けつけたら、予想外にひどくてこちらの血の気が引いた。とりあえずすぐに仕事に復帰しないよう、四番隊の救護室から出ることを禁じる結界を張っておいた。そのせいで治療にあたっていた山田とかいう死神が部屋から出られなくなったらしいが、それはどうでもいい。雛森と二人きりでいたのは問題だが、相当なへたれらしいので男と思わなくていいと松本も言っていた。それはともかく、もっと敵の視察を徹底させろとその足で藍染に文句を言いに行ってしまった。霊圧で五番隊舎の壁が氷づけになっていたらしい。正直いいざまだと思った。
おまけに、雛森はあれで結構食い意地が張っている。昔から腹を壊すのは雛森で、俺は説教する立場だった。さっきも特大の腹の音だ。女もあんな音が出せるのかと思って、正直、感心した。他の女が腹を鳴らしているのは聞いた事が無い。しかもあんなどでかい音で。極めつけはぐぺっ、だ。ぐぺっ。雛森はやっぱり雛森だと思った。
しかも今は目の前でぺたんと情けなく突っ伏している。こいつは夜中に寝巻き一枚で俺を訪ねてくる。このまま寝てもいいー?、と平気で尋ねてくる。そしてそのまま俺の布団を占領して朝まで寝こける。一度寝付けばどんなにつついても絶対に起きない。朝は霊圧を放つまで起きてこない。昨夜でそんな強行お泊りも三百六十五回を越え、堪忍袋の緒も切れた。こいつは俺を男とも思ってない。(これが一番問題かもしれない)
ここまで見て、全体的に雛森桃という死神には、問題がありすぎる。
ところが、気がつけば目で追ってしまうし、怪我をしてないか心配するし、今あいつは何をしてるのかとか書類を見ながら考えるし、あいつの好きそうな菓子が売っているのを見ればバカらしいと思いつつも買ってしまうし、藍染になついてるのを見るのは気に入らないし、阿散井と楽しげに話しているのを見ると何もないと知りつつも面白くないし、あいつが俺以外のところに枕を持って寝に行ったら、相手を完膚なきまでに潰してやろうと真剣に思う。
なんなんだろう。なんなんだろう。
多分俺はおかしい。なにしろ、この女はぐぺっ、だ。ぐぺっ。
この世のどこに、そんな腹の音を立てる女を好きになる男がいるんだ。
俺しかいねえじゃねえか。バカヤロウ。
胸に拡がる。収まりきらない。それは苦しくて、少し不安になって、けれど心地よい。気分がいい。雛森の隣りにいると、苦しくなるくせに、気分がいい。
会いたくなる。話をしたくなる。触れたくなる。時々、抱きしめたくなる。
昔からそうだ。こんな関係をもう何年も続けていて、今もそうで、これからもきっとそうなのだ。
俺は自分を結構どうしようもないと思うのに、それなのに、この気持ちが変わらないだろうことを、とんでもなく強く確信しているのだ。
「…あの、日番谷君、今日の…お怒りの理由を、聞いてもいいですか」
弱弱しく聞いてくる雛森を、一度殴ってやった方がいいかもしれない。
その方が世のため、何より俺とこいつのためになるような気がする。
がっくりと肩を落としている雛森に、自らもため息をつき、日番谷は汚れた死覇装を払いながら立ち上がる。
「自覚ねえのか」
「…だから、わかんないから聞いてるのー」
唇を尖らせて見上げてくる雛森を引っ張り上げ、頭痛を感じながらも日番谷は言う。
「…お前…。俺がいてよかったな」
もうどうとでもしてくれと思う。別に構わない。枕でもなんでも、持って来い。ぐぺっでいい。こいつはこれでいい。繋ぐ手の暖かさがあれば、世界は潤う。
「なあに、それ」
「…俺しかいないだろ。俺がお前を好きでよかったって話だ、ぐぺっ」
一拍置いて、ぽかんと口を開けた雛森の顔が見る間に真っ赤に染まっていったので、日番谷は愉快になった。どうせこいつは、肝心要の前半の言葉は耳に入ってないのだ。そんなことは悲しいくらいに経験からして知っている。勝負はこれからなのだ。幼なじみの鼻先を弾いて、せっかくだからこのままさぼろうぜ、ぐぺっ、と言って木陰に座り込んだ。
ねえそれやめてよ、そんなあだ名つけないでお願いぃ!、と半泣きで騒ぐ幼なじみの声には答えてやらない。
これくらい、いいだろ。ちょっとくらい、お前も俺のことで困ってみせろよ、雛森。
ちょっとくらい、お前も俺のことだけ考えてろよ、雛森。
狸寝入りを決め込む十番隊長に、騒ぎつかれた五番副隊長が拗ねながらも身を寄せて、ふたり、無邪気に木陰で寝付くのはその一時間後のこと。
わずかに指先を触れ合わせたまま、ふたりはしずかな夢をみる。
「アゼル」のハルさんから頂きましたお話です。
のっぱらで正座・1時間ってスゴイや!!
私はいっぱいいっぱいつっこみましたよ^^
雛森さんはまるで「蛇に睨まれた蛙」。
なんたってぐぺっだしね! 蛙だよね!
ということで、こんな絵を描いてみました。
ハルさんありがとうございました^^